震災から10年

白井です。
とても暖かな日でした。

本日は東日本大震災からちょうど10年目となります。
当時私は、インキュベーションオフィスに入居しており、ビルの5階に居りました。今でも震災当時の状況はよく覚えています。
当時は大部屋の中の机一つが私のスペースで、一度も姿を見たことがなかった後ろの席の人が偶然来ていたので初めましての名刺交換をし、しばらく話し込み、今後とも宜しくお願いしますねーと自分の仕事に戻ったときにゆらゆらっと来たので、その方と「地震みたいですね。」と軽く言葉を交わしていたところ、だんだんと揺れが大きくなり、慌てて部屋を飛び出したというところまでははっきりと覚えています。

しばらくはどこが震源なのかの情報も全くなかったのですが、携帯でテレビが見られることを思い出し、早速見てみたところ、最初に目に飛び込んできた映像は多くの車が水に流されている映像でした。何の映像を見せられているのか全く判断がつきませんでしたが、アナウンサーの言葉でだんだんと状況がわかって来ました。

震災後しばらくして、尺八奏者さんやチェロ奏者さんから被災者のために無償で演奏をしたいとのお申し出があったので、演奏できそうな場所を探し、掛け合いました。
まずはオフィス近くのさいたまスーパーアリーナに被災者の方々が避難して来ているので行ってみたところ、あっち行けこっち行けでたらい回しにされ、挙げ句の果てにはなんだかよくわからないことを言われたので、見切りをつけました。と間単に書いていますが、その時はとてもムカついて、縦割り行政の弊害というものをまざまざと思い知らされました。

そんな思いで自分のオフィスに戻ってきたところ、実は同じビルの中にも避難して来た被災者さんたちが宿泊していることを知りました。
そのビルには県の機関も入っていて、普段は会議などに使っている大部屋があり、そこに避難して来ていました。
戻って来たときに偶然、仲良しの県職員の方がいたので、さいたまスーパーアリーナでの出来事(愚痴)を事細かく話したところ、「白井さん!ここでやりなよ。ここにも被災者さんたちがいるし、俺が絶対にできるように掛け合うから!」と言っていただき、本当にそこで演奏ができることになりました。
とても男気のある職員の方で、その方が演奏中にボロボロ泣いているのを今でもはっきり覚えています。
どの世界、どの業界にも男気のある人っているもんですね。
今でもあの職員の方には感謝しています。

そしてあれから10年。
今でも東日本大震災のことは忘れていません。
お茶の水女子大学の学長先生とともに行なっている震災孤児・遺児の子どもたちを長期間に渡って支援する「夢のつばさプロジェクト」の活動も、もう10年となります。年2回のキャンプでは、毎回欠かさずに音楽会を開催させてもらっています。
震災の年の夏に行ったプレキャンプに来ていた子どもたちも、もうかなり大きくなりました。
この活動は、本当に善意だけに支えられている活動で、被災者を支援する活動ではありますが、その善意に満ちた空気がとても心地よく、私自身の心の拠り所にもなっています。もしかすると、私の方が救われているのではないか?と思うくらいです。

夢のつばさプロジェクトでは、本当に多くの演奏家の皆様にご協力いただいています。改めて感謝申し上げます。
今後もこの震災を忘れることなく、そして教訓とし、被災地の子どもたちにも音楽の素晴らしさを知ってもらえるような活動をして参りたいと思います。

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